注意義務を遵守しても結果の発生が回避できなかった場合
(平成15年1月24日最高裁)
事件番号 平成14(あ)183
タクシー運転手のXは、乗客A、Bを乗車させ
左右の見通しが利かない交差点に進入するに当たり,
何ら徐行することなく,
時速約30ないし40㎞の速度で進行し、
交差道路を左から進行してきた
Yの普通乗用自動車と衝突し、
Aが死亡し、Bが重傷を負いました。
Yは酒気帯び運転で、指定最高速度が時速30㎞
時速約70㎞の速度で進行し、
足もとに落とした携帯電話を拾おうとした前方不注意の状態で、
対面信号は赤の点滅(一時停止)の時に
進入してきたという状況でした。
(Yは業務上過失致死傷罪で有罪となりました。)
この裁判のポイント
この裁判では、Xの行為が、
過失結果犯にいう注意義務違反にあたるという前提に立ったうえで、
仮にXがその注意義務を遵守していたとしても、
結果の発生が回避できなかった場合には、
過失結果犯の成立が否定されるという判断がされました。
最高裁判所の見解
左右の見通しが利かない交差点に進入するに当たり,
何ら徐行することなく,時速約30ないし40㎞の速度で
進行を続けたXの行為は,道路交通法42条1号所定の徐行義務を
怠ったものといわざるを得ず,
また,業務上過失致死傷罪の観点からも
危険な走行であったとみられるのであって,
取り分けタクシーの運転手として乗客の安全を
確保すべき立場にあるXが,
上記のような態様で走行した点は,それ自体,
非難に値するといわなければならない。
しかしながら,他方,本件は,X車の左後側部にA車の前部が
突っ込む形で衝突した事故であり,本件事故の発生については,
A車の特異な走行状況に留意する必要がある。
すなわち,1,2審判決の認定及び記録によると,
Aは,酒気を帯び,指定最高速度である時速30㎞を
大幅に超える時速約70㎞で,足元に落とした携帯電話を拾うため
前方を注視せずに走行し,対面信号機が赤色灯火の点滅を表示しているにもかかわらず,
そのまま交差点に進入してきたことが認められるのである。
このようなA車の走行状況にかんがみると,
被告人において,本件事故を回避することが
可能であったか否かについては,慎重な検討が必要である。
この点につき,1,2審判決は,仮に被告人車が本件交差点手前で
時速10ないし15㎞に減速徐行して交差道路の安全を確認していれば,
A車を直接確認することができ,
制動の措置を講じてA車との衝突を回避することが可能であったと認定している。
上記認定は,司法警察員作成の実況見分調書に依拠したものである。
同実況見分調書は,被告人におけるA車の認識可能性及び
事故回避可能性を明らかにするため本件事故現場で
実施された実験結果を記録したものであるが,
これによれば,①被告人車が時速20㎞で
走行していた場合については,
衝突地点から被告人車が停止するのに必要な距離に相当する
6.42m手前の地点においては,
衝突地点から28.50mの地点にいるはずのA車を
直接視認することはできなかったこと,
②被告人車が時速10㎞で走行していた場合については,
同じく2.65m手前の地点において,
衝突地点から22.30mの地点にいるはずのA車を
直接視認することが可能であったこと,
③被告人車が時速15㎞で走行していた場合については,
同じく4.40m手前の地点において,
衝突地点から26.24mの地点にいるはずのA車を
直接視認することが可能であったこと等が示されている。
しかし,対面信号機が黄色灯火の点滅を表示している際,
交差道路から,一時停止も徐行もせず,時速約70㎞という高速で
進入してくる車両があり得るとは,通常想定し難いものというべきである。
しかも,当時は夜間であったから,たとえ相手方車両を視認したとしても,
その速度を一瞬のうちに把握するのは困難であったと考えられる。
こうした諸点にかんがみると,
X車がA車を視認可能な地点に達したとしても,
Xにおいて,現実にA車の存在を確認した上,
衝突の危険を察知するまでには,若干の時間を要すると考えられるのであって,
急制動の措置を講ずるのが遅れる可能性があることは,否定し難い。
そうすると,上記②あるいは③の場合のように,
被告人が時速10ないし15㎞に減速して交差点内に進入していたとしても,
上記の急制動の措置を講ずるまでの時間を考えると,
被告人車が衝突地点の手前で停止することができ,
衝突を回避することができたものと断定することは,
困難であるといわざるを得ない。
そして,他に特段の証拠がない本件においては,
被告人車が本件交差点手前で時速10ないし15㎞に減速して
交差道路の安全を確認していれば,A車との衝突を
回避することが可能であったという事実については,
合理的な疑いを容れる余地があるというべきである。
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