吉祥寺駅構内ビラ配布事件
(昭和59年12月18日最高裁判所)
事件番号 昭和59(あ)206
Xらは、吉祥寺駅で、
当日開催される予定の集会へ勧誘する目的で、
通行する乗降客らに対し、ビラを配布したり、
携帯用拡声器を使用して集会への参加を呼びかけや、
演説をするなど、いわゆる情宣活動をし、
同駅管理者からの退去要求を無視して、
約20分にわたり、駅構内に滞留し、
鉄道営業法35条、刑法130条後段の罪に問われました。
駅構内でビラ配布をする行為に、
鉄道営業法35条、刑法130条後段の規定を適用することは、
憲法21条1項に違反しないかという点が注目されました。
裁判所は、
「憲法21条1項は、表現の自由を絶対無制限に保障したものではなく、
公共の福祉のため必要かつ
合理的な制限を是認するものであって、
たとえ思想を外部に発表するための手段であっても、
その手段が他人の財産権、管理権を不当に害するごときものは
許されないといわなければならないから、
原判示井の頭線吉祥寺駅構内において、他の数名と共に、
同駅係員の許諾を受けないで乗降客らに対し
ビラ多数枚を配布して演説等を繰り返したうえ、
同駅の管理者からの退去要求を無視して約20分間にわたり
同駅構内に滞留した被告人4名の本件各所為につき、
鉄道営業法35条及び刑法130条後段の各規定を適用して
これを処罰しても憲法21条1項に違反するものでない」
としました。
伊藤正己裁判官の補足意見「パブリック・フォーラム」について
また、この裁判では、
伊藤正己裁判官の補足意見も重要視されています。
伊藤正己裁判官のいう
「パブリック・フォーラム」は、
この他の裁判や、表現の自由と規制を考える上で、
重要な概念です。
伊藤正己裁判官は次のように意見を補足しました。
憲法21条1項の保障する表現の自由は、
きわめて重要な基本的人権であるが、
それが絶対無制約のものではなく、
その行使によって、他人の財産権、
管理権を不当に害することの許されないことは、
法廷意見の説示するとおりである。
しかし、その侵害が不当なもので
あるかどうかを判断するにあたって、
形式的に刑罰法規に該当する行為は
直ちに不当な侵害になると解するのは適当ではなく、
そこでは、憲法の保障する
表現の自由の価値を十分に考慮したうえで、
それにもかかわらず表現の自由の行使が
不当とされる場合に限って、
これを当該刑罰法規によって処罰しても
憲法に違反することにならないと解されるのであり、
このような見地に立って本件ビラ配布行為が
処罰しうるものであるかどうかを判断すべきである
一般公衆が自由に出入りすることのできる場所において
ビラを配布することによって
自己の主張や意見を他人に伝達することは、
表現の自由の行使のための手段の一つとして
決して軽視することのできない意味をもっている。
特に、社会における少数者のもつ意見は、
マス・メデイアなどを通じてそれが受け手に
広く知られるのを期待することは必ずしも容易ではなく、
それを他人に伝える最も簡便で有効な手段の一つが、
ビラ配布であるといってよい。
いかに情報伝達の方法が発達しても、
ビラ配布という手段のもつ意義は否定しえないのである。
この手段を規制することが、ある意見にとって
社会に伝達される機会を
実質上奪う結果になることも少なくない。
一般公衆が自由に出入りできる場所は、
それぞれその本来の利用目的を備えているが、
それは同時に、表現のための場として役立つことが少なくない。
道路、公園、広場などは、その例である。
これを「パブリック・フォーラム」と呼ぶことができよう。
このパブリック・フォーラムが
表現の場所として用いられるときには、
所有権や、本来の利用目的のための管理権に
基づく制約を受けざるをえないとしても、
その機能にかんがみ、表現の自由の保障を
可能な限り配慮する必要があると考えられる。
(本件においては、駅舎の一部であり、
パブリック・フォーラムたる性質は
必ずしも強くないとしました。)
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